アルバム-1

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シューベルトの死んだ家
シューベルトの死んだ家
最後までもっていたバイブル。
フェルディナントシューベルト
フェルディナントシューベルト
シューベルトの兄。ここの家でシューベルトが死んだ。フェルデナンドはシューベルトの遺品を大切にとって置いて、後シューマンが訪ねていってシューベルト再評価につながる。
シューベルトの死んだ家
シューベルトの死んだ家
この階段のすり減り具合は、おそらくシューベルトの頃からの物だろうと思う。
シューベルトの死んだ家
シューベルトの死んだ家
中庭
エーリッヒクライバーー
エーリッヒクライバーー
シューベルト死んだ家のお向かいが、エーリヒ・クライバーの生まれた家。
ヨゼフ教会
ヨゼフ教会
シューベルトの葬儀のあった、ヨゼフ教会。私もろうそくを一本そなえてお灯明?をあげました。 このあと、近くにハイドンの葬儀を行ったグムケンドルフ教区教会があるはずなのだが、見つけられず。暑さ負け。
ヨゼフ教会
ヨゼフ教会
フィガロハウス
フィガロハウス
24日夜。モーツァルトのフィガロハウス。この博物館は、しろうとでも分かりやすいモーツァルトってとこかな。日本人スタッフもいました。
ミヒャエル教会
ミヒャエル教会
25日。王宮のそばにある、ミヒャエル教会。モーツァルトの最初の追悼ミサが行われた教会。 私も26日の日曜日のミサに参加しました。オルガン結構不協和音づけで戦闘的な演奏でしたな。(笑) ミサ、いまはみんなドイツ語なのね。
ハイドンの生まれた家
ハイドンの生まれた家
25日、ローラウからチェコへ。 ウィーンから車で40分くらいはなれた、ローラウにあるハイドンの生家。藁葺きでした。
ハイドンの生家
ハイドンの生家
ハイドンのお母さんは、ローラウの城の料理人で、これは、その料理材料の領収書?肉が何キロ・で値段がいくら、とか書いてある。
ハイドンの生家
ハイドンの生家
ローラウの町。荒屋新町の1/3という感じだ。ド田舎。ハイドンはここを6才ででて、教会のコーラスに入っている。口べらしじゃん。
フンメル生家
フンメル生家
なんと、チェコのブラチスラヴァまでいって、フンメルの生家にいってきたのだよ。フンメルハウス営業日なのに店仕舞い。TELしてたのみこんで、やっとあけてくれた。やるきないね。チェコは(笑)。
フンメル
フンメル
バルトークのプレート
バルトークのプレート
ブラティスラヴァ、バルトークのプレート。
リストの演奏した家
リストの演奏した家
ブラティスラヴァ。リストの演奏した家。
冬の旅の菩提樹
冬の旅の菩提樹
25日夕方。ウィーンにもどって、また、郊外へ。シューベルトが「菩提樹」ここで作曲したという、プレート
泉にそいて・・
泉にそいて・・
で、ここの菩提樹(真ん中の木)のそばには「井戸」=泉がある。ちょっとできすぎじゃない?それに、冬の旅ってミュラー作詞。ん???
冬の旅
冬の旅
黒ラブのももちゃんと
アイゼンシュタット
アイゼンシュタット
26日、エステルハージー城のあるアイゼンシュタットへ。ウィーン郊外車で40分くらい。町の規模は稲荷山公園くらい。
アイゼンシュタット
アイゼンシュタット
プレート
エステルハージー城
エステルハージー城
エステルハージー城
エステルハージー城
エステルハージー城
城のホール。(現在はハイドンホールと呼ばれている)ここでハイドンは宮廷オペラをやった。ガイドツアーの女の人が役者のように説明していた。
CIMG0138_1
CIMG0138_1
ハイドンホールの天井画。
アイゼンシュタットのベルク教会
アイゼンシュタットのベルク教会
ハイドンの棺のある、ベルク教会。 あの、屋根のベーコンみたいなぶぶんは、受難の物語が洞窟画になっていて、こわい。でも、この教会見る価値あり。
ベルク教会(アイゼンシュタット)
ベルク教会(アイゼンシュタット)
ベルク教会
ベルク教会
ベルク教会からの眺め。
ハイドンの住んだ家(アイゼンシュタット)
ハイドンの住んだ家(アイゼンシュタット)
ハイドンの弾いたポジティフオルガン。ハイドンだけでなく、フンメル、あとだれだったかわすれた、有名なひと3人くらいがこのオルガン弾いてた。
ハイドンの家のプレート(アイゼンシュタット)
ハイドンの家のプレート(アイゼンシュタット)
プレート
ハイドンとメタスタージオがすんでたいえ。
ハイドンとメタスタージオがすんでたいえ。
27日(最終日)。ウィーン王宮の前、目抜き通り。デメルの店のお向かいが、ハイドンとメタスタージオがすんでた家。 あと、となりくらいが、ショパンがすんでた家なんだけど、プレート見つけられず。